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アトリエmickey「お食事処」

うなぎ料理



 とてもおいしい鰻料理が、三重県の桑名と四日市にあります。
 そのお店の紹介をいたします。
 お店の名は、桑名の「丑松」と四日市の「かわ善」です。

   「うなぎ料理 丑松」 (電話 0594-23-3911)

 場所は、大桑国道(R258)沿い、結婚式場「平安閣」の向かいです。(桑名駅からは、タクシーで10分ほどです。)のれんを出しているのは、11-14時と、17-20時です。土曜は定休日(年末年始はお尋ねください)です。
(丑松、というのは、わたしの祖々父の名前です。)

   「うなぎ料理 かわ善」 (電話 059-364-4424)

 近鉄富田駅からタクシーでおよそ5分です。(こちらは水曜定休日)
 イオン四日市北店(ジャスコ)の近く、国道一号線の富田5叉路交差点からすぐ西です。


 「丑松」と「かわ善」、味を食べ比べていただけるとよろしいと思います。わずかにシフトさせて、お好みのお客さんを分けております。

 東京からのお客さんも大勢いらっしゃいます。東京方面へ出店したらどうかという話も尋ねられますが、こちら三重で食するからこその食文化であると思います。


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アトリエmickey「富洲原」

富洲原
Tomisu2

Tomisu1

   「富洲原」の地名の起源

 私の住んでいるところは、「富洲原(とみすはら)」とよばれる地区です。近くには、富洲原駅(近鉄名古屋線)や、富洲原小学校、富洲原中学校、富洲原郵便局などがあります。

 朝明郡の「富田一色村・天ケ須賀村・松原村」の三村が合併して、富田一色村の「富」、天ケ須賀村の「洲(須)」、松原村の「原」の三字をとって、「三重県朝明郡富洲原村」が誕生したのは、明治22年(1889)のことです。日本国に初めて「憲法(旧)」が交付された年です。

 富田一色の「富田」の意味は、「飛田」で、古代史の有名な「日本武尊白鳥伝説」で生まれた地名です。現在でも隣接の富田地区では、氏神の「鳥出神社」のことを「飛田(ひでん)さん」と呼びます。「一色」はその分村である「居敷」の意味で、先祖の人達が「富田村」より移住して形成された集落と考えられています。

街  天ケ須賀の「須賀」とは、「洲陸」・「洲処」のことで、引き潮のとき海辺で洲になる処が自然に陸地になった地域をあらわします。「天ケ」とは「天野の人々」のことで、南北朝時代に河内国天野郷(大阪府南河内郡)からの人々が住み着いたそうです。石取り神事が行われる「住吉神社」は、大阪の住吉神社の分霊で、海上の守護神とされています。

 松原は、奈良時代に「聖武天皇」が行幸された際に読まれた和歌の「妹に恋い吾の松原見渡せば、潮干の潟に田鶴鳴き渡る(万葉集)」の「吾の松原」にちなんだ地名になります。松原公園、聖武天皇社があります。

 明治29年(1896)「朝明郡」は「三重郡」と合併して、大正12年(1923)に町制を実施、昭和16年(1941)四日市市に合併して現在にいたります。昭和40年(1965)には、新住居表示制にともなって、「富洲原」の地区名は現行のままとして、新しい町名に「富州原」(当用漢字の州を使用する)を、天ケ須賀は「天カ須賀」としています。

 (参考文献 地区広報「とみすはら」)


 (付録)

   「富洲原」の地名からうける私的なイメージとして

 「飛ぶ」「海辺」「天のひとたち」「松原」など地名に由来する語句たちのイメージから、私は、静岡県清水市の「三保の松原」で有名な「はごろも伝説」のシチュエーションを連想します。
 「はごろも伝説」とは、日本全国や、中国、韓国にも分布する「白鳥処女説話」のバリエーションのひとつです。「白鳥処女説話」は、バレエ「白鳥の湖」にも見られる世界中に存在する説話で、白鳥が処女と化して現れ、男性に衣を奪われて妻とされるが、やがて衣を取り返し、白鳥に戻って飛び去るというタイプの話です。
 この地「富洲原」にも、このような説話が存在するのかもしれませんね。

 (2000/11/08)

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アトリエmickey「ボトルシップ」

Bottle-Ship

Bottle


 ボトルシップを作ってみました。

 ボトルは透明なウイスキーのビンで、船体の部分は、ドイツワインのコルクをけずって、マストのあるヨットにしてみました。

 ボトルシップって、どのように作るのでしょう?ピンセットとかを使って、ボトルの中で、慎重に組み立てていくのでしょうか?
 わたしは、そう信じていました。でも、そうでなくても出来るのです。

 いろんな方法があると思いますが、わたしのおこなった方法は、ボトル内にいっぱいになる帆の寸法で、しかも、船体の部分が、ボトルの口を通過できる大きさの船をつくるのです。すべての組み立ては、ビンの外で行います。このときには、すべてのマストや帆は、粘着性のある合成ゴム系接着剤を使用して、固まるまでの間に、一時的に可動できる状態にして、折り畳んでビンの口を通過させます。また、マストと帆は、あらかじめ、糸一本をひくと立ち上がるしくみにしておきます。ボトル内に船体の底を接着したあとは、その糸をひいてマストと帆を広げます。糸はゆるまないようにビンの内で固定したあと、余分なところを切って、完成です。

   (99/01/09)

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アトリエmickey「隕鉄剣」

隕鉄剣

   隕鉄剣

 隕鉄剣のことを、以前、ある友人から尋ねられたことがあります。

 そう、隕鉄剣って、とてもマニアックな響きですね。実在するのでしょうか、年代はどのくらいなのでしょう?ほんとうに隕鉄から製造された刀剣なのでしょうか?とても興味のあるところです。

 流れ星は、通常、大気中で発光して燃え尽きます。ところが、質量の大きな大流星の場合、大気中で燃え尽きずに、地表まで到達することがあります。これが隕石 meteorite です。隕石は、大部分が石質隕石ですが、ごくまれに金属鉄からなる隕鉄 siderite というものがあります。これは、鉄とニッケルを主成分として、リン酸化物や硫化物を含みます。断面には、ウィドマンステッテン組織 Widmansttaten structure という幾何学模様が見られます。日本最大のものは、1885年の田上隕鉄(174kg)と言われています。

 地球上の自然界には、通常では、鉄は存在しません。鉄鉱石を精錬して始めて、人類は鉄を手にします。歴史としては、石器、土器、青銅器、そして鉄器の順になります。鉄は銅にくらべて、精錬がむずかしく、しかも高温であることから、道具としての実用化はかなり遅れます。ただ、古代からも、隕鉄の存在はありえたわけで、青銅器時代に、銅よりさらに硬くて優れた鉄製の武器や道具を使用する人たちがいた可能性はあるわけです。

 隕鉄の成分は、鉄に20%ほどのニッケルが含まれていることが多く、通常の鉄にくらべて、耐食性に優れていると考えられます。ただ、刀身に使用することを考えた場合は、カーボン含有量が少ないために、焼入れの作業をしてもマルテンサイト変態は起こらず、焼の入らない、なまくらで、刃物の切れ味は悪い状態になります。硬く強靭な刃物にはなりません。ですから、そのままの材料では、その剣は、装飾品の部類にはいるものと考えられます。さらに、刃物としての性能の向上を考えるならば、高炭素鋼とのメカニカル・アロイング(鍛錬)や、溶融して含有成分の調整、または、浸炭などの表面処理が必要になるものと考えられます。

 たしか、仙台の金属博物館には、隕鉄のウィドマンステッテン組織の標本があったような記憶があります。ここで、隕鉄剣のことが、もう少しわかるかもしれませんね。

 (97/11/21)

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アトリエmickey「遠憬」

遠 憬

   遠 憬

 「憬」というのは、あこがれという意味があります。つまり、「遠くへの憬(あこが)れ」というわけです。

 冬の季節には、天気のコンディションがよいと遠くまで見えます。どこまで遠くが見えるものなのか、挑んでいます。晴天つづきでも、なかなかよいコンディションには、めぐりあいません。

     現在までの記録

  タワーズJR名古屋駅  30km クリア
  恵那山        100km クリア
  御嶽山        120km クリア
  中央アルプス     140km クリア
  南アルプス      150km クリア
  富士山        190km  X

 肉眼で見てから、双眼鏡で確認しています。そもそも、ここ川越町から富士山が見えるという話は聞きませんが、鈴鹿山脈の御在所岳の山頂からや愛知県の知多半島からは、富士山が見えるそうですから、もう少し挑んでみようと思います。

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アトリエmickey「星に願いを」

Be born under a lucky star





  南天の「寿老人星」 (97/12/28)

 もうすぐ今年も年の暮れですね。大晦日の夜にはいかが過ごされるのでしょう。初詣でしょうか、テレビでしょうか?
 除夜の鐘がなるころ、南の空の低くに「寿老人星」(りゅうこつ座・カノープス)がみえます。中国では、七福神の寿老人を想像して、この星をみたものは長生きをすると言い伝えた星です。北緯35度の地域で、高度およそ2度です。南の空に建物や山などの障害物がなくて、好天に恵まれて、地平線近くまで澄みわたって、しかも、この星が南中するころの時間に、という限られた条件にときに、幸運にもみられます。みなさまのところは、いかがですか?南中する時刻は毎日4分づつ早くなりますので、1月の末には22時頃、2月の末には20時頃でしょう。北限は、福島県あたりと思いますが。これは、南ほど有利ですね。
 カノープスは、シリウスに次いで全天第2位の輝きです。カノープスは、白色に輝く美しい星です。しかし、日本からは高度が低いせいで、夕日が赤いのと同じ理由で、すこし赤みがかって見えます。この老人星はなかなかのお酒好きで、ときおり地上に降りては酒を飲む。この星がいつも赤い顔をしているのはこのせいだというのです。「寿老人星」見られるといいですね。では、みなさま、よいお年を!
 
    
  北天の「七人の聖者」  (98/12/29)
 
 この季節の宵空には、「七人の聖者」(おおくま座・北斗七星)が地に降り立つのです。インドや蒙古地方での言い伝えです。・・・いわゆる七福神の起源なのでしょうか?ところが、よほど条件が良くないと、この地に降り立ったときの七人の全員を見ることができません。北極星の真下にみえます。みなさまのところは、いかがですか? こちらは、北ほど有利ですね。では、みなさま、よいお年をお迎えください。 

プレゼントページへ

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アトリエmickey「風の色」

風の色
Kouyou

虹の山
(スタジオ・K作品「虹の山」)

   風の色 (99/04/28)

 「風の色」という話を聞いたことがあります。漢詩では、春に青、夏に朱、秋に白、冬に玄の色を配しているようです。
 ここから、青春、朱夏、白秋、玄冬、って言葉になるそうです。
 この色は、中国古代の思想に由来する、天の四方の方角をつかさどる神、四神(しじん)の、青竜(せいりょう)、朱雀(すざく)、白虎(びゃっこ)、玄武(げんぶ)にも見られます。
 わが国の相撲でも、土俵の上の屋根をささえた四本の柱(四本柱)には、この色の絹を巻いていたようですが、1952年に四本柱は廃止され、現在はつり屋根の隅にこの色の房を下げ、四房(しぶさ)と称するそうです。


   山紫水明 (99/04/26)

 「臥遊録」からです。

 「 春山淡冶(たんや)にして笑うが如く、
   夏山蒼翠(そうすい)にして滴(したた)るが如く、
   秋山明浄にして粧(よそお)うが如く、
   冬山惨淡として眠るが如し 」

 「山笑う、山滴る、山粧う、山眠る」という季語のもとです。

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月の明かりに

THE SHADOW OF THE MOON


Tuki

月のある風景

  名月

 名月は、陰暦八月十五夜の月。そして、陰暦九月十三夜の月です。
 陰暦八月一五日の夜には、団子や芒(すすき)の穂、果物などを供えて 月をまつります。里芋などを供え、芋名月ともいいます。 仲秋の名月です。
   陰暦九月一三日の夜には、月をまつり、枝豆や栗を供えることが 多いことから八月十五夜の月を芋名月というのに対して、豆名月 ・栗名月とも、また「後(のち)の月」ともよばれます。
   十五夜・十三夜の一方の月見を欠かすことを片月見といって忌む 風があるそうです。日本固有の習俗で、かつては秋の収穫祭の 一つだったと考えられています。
 十五夜のあとは、十六夜(いざよい)の月、立ち待ち月、 居待ちの月、寝待ちの月、更(ふ)け待ち月と、月齢が進みます。
 仲秋の名月は、harvest moon(収穫の月)というそうです。 そして、次の満月は、hunter's moon(狩猟の月)です。
 ついでに、honey moon は、甘美でしあわせな満月にたとえ、 すぐに欠けていくことにかけたたわむれの言葉だそうです。


  アースシャイン(地球照)

 明け方や夕方、月が細く輝いて、しかも、空気がよく澄んでいるとき、 月の欠けているはずの部分がうっすらと青くみえて、月の全体の丸い 輪郭がはっきりわかることがあります。
 これは、地球照といいます。(アースシャイン)
 このとき、月から地球をみると、地球がちょうど満月?のように輝いています。 この地球の輝きが、月の夜の部分を青く照らしているのです。
 月から見た地球は、満月の直径の4倍くらいあるはずです。
 雲ひとつない漆黒の星空に浮かぶ青く大きな地球・・・。
 地球照から、地球の姿を想ってみてはいかがでしょうか?

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アトリエmickey「スーパーハイウェイ」

スーパーハイウェイ 第2名神高速道路

木曽川橋完成予想パース
木曽川橋完成予想パース(JH(日本道路公団))

 ●最初に

 わたしの住む川越町の近くで、第二名神高速道路の工事が始まりました。この高速道路は、今の国道や高速道路と平行・交差しながらかけ抜けて、日本の将来を支えるとても大きな大動脈になると聞きました。そこで、この第二名神高速道路の建設について、調査をしてまとめました。第二名神高速道路は、すでに開通している「名港トリトン」から通じる愛知県弥富インターチェンジから、長島、桑名、川越、朝日、そして、四日市ジャンクションで東名阪自動車道と交差して、亀山につながります。その予定は、平成13年度に川越インターまで開通して、平成14年度には、四日市ジャンクションまでを完成目標としているようです。

 ●朝日町における橋梁下部の工事について

朝日 この付近は、辻古、広永という遺跡があり、第二名神高速道路の工事を始めるにあたり、文化財の発掘を行い、記録を残しています。そのため現在でも、文化財発掘事業と調整をはかりながら工事をすすめています。また、工事は、21世紀にふさわしい景観と新技術で続行中です。


 ●川越町インターチェンジ付近における上部工事の施工

「プレキャストセグメントによるスパンバイスパン工法」
川越  これは、コスト縮減のため、建設費の節減、省力化、工期の短縮・環境との調和を目指し、新技術、新工法を取り入れた「分割・組み立て式」の上部工事です。
 製作ヤードに工場設備を設け、主桁を「輪切り」に分割製作します。この輪切りにされた製品を「セグメント」と呼びます。すでに作られたセグメントを型枠がわりにするこの工法を「ショートラインマッチキャスト方式」といいます。
 製作ヤードより「セグメント」をトレーラーにて搬送し、橋梁の上で支持された架設機によって吊り並べ1径間(スパン)づつPC鋼線で連結し、順次、前に進めていく工法です。

 ●木曽川橋・揖斐川橋の上部工事における世界初の構造

「複合連続エクストラドーズド橋」
 第二名神高速道路が、木曽川および揖斐・長良川を横切るところに建設中の木曽川橋、揖斐川橋。どちらも橋長1キロを超える大規模な橋です。現在は、橋の基礎をつくる下部工事は終わり、橋の部分を架設する上部工事がすすんでいます。橋梁には、コンクリート桁と鋼桁を合わせた世界でも初めての、「PC・鋼複合連続エクストラドーズド橋」を採用しています。
長良川橋  木曽川橋・揖斐川橋の桁は、あらかじめ別の場所で造られ、架橋地点に海上運搬して架設しています。コンクリート桁は、台船にて架橋地点へ運搬し、各橋脚から左右のバランスを図りながら所定の位置に架設します。また、鋼桁は工場で造られ、鋼箱桁部を一括して吊り上げて架設します。セグメントと呼ばれる輪切りにされた巨大なコンクリート桁や、重量約2千トンもの鋼箱桁部の大ブロックが吊り上げられる様子は、想像を絶します。このように、桁の部分の製作と架設を並行して行っているため、工期を大幅に短縮するとともに、コンクリートと鋼の複合構造にすることによって建設コストの低減も実現しています。
 大河川を渡る、大きくて美しい橋。いまこの瞬間も少しづつ、完成に向けて工事中です。

 ●PR館「IC(インフォメーションセンター)長島」を見学して

 長島インターチェンジ、長島高架橋の工事の現場近くに設置されているPR館を見学して、この第二名神高速道路の工事の方法や特色の展示を見学しました。ここは、パネルや建設工事の模型を使って、わかりやすく展示・紹介されていました。上部工事の「プレキャストセグメントによるスパンバイスパン工法」や、世界初の「PC・鋼複合連続エクストラドーズド橋」について理解することができました。
 今回は、現在身近で、急ピッチで建設中の第二名神高速道路について調べてみて、その最先端の技術と、ごく近い未来にはこの第二名神高速道路の開通が実現するんだな、という不思議な感動をとても大きく受けたものでした。

  (2000年 盛夏)

 最後に、木曽川橋完成予想パースの画像の提供を頂きました、JH(日本道路公団)様に感謝と御礼を申し上げます。

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太陽の季節

The sun in the sky
Mine

きれいな夕焼け

なぜ、春夏秋冬と季節があるのでしょう。

 このひみつは、宇宙にあります。 地球は、コマのように回転(自転)しながら、太陽の まわりを回っています。(公転) このとき、地球の自転のじくが、公転の軌道の面と垂直ではなく、 23.4度傾いているのです。 だから、お昼に南中する太陽の高さが変化して、夏になったり、 冬になったり、季節を生じます。 そういえば、地球儀もおなじように傾いていますね。


お日様の通り道、お月様の通り道?

 お日様も、お月様も、東からのぼって西にしずみます。 これは、地球自身の自転による、天球の日周運動です。 お日様も、お月様も、また、この天球の上を移動します。 天球のお日様の通り道は、黄道(こうどう)といいます。 太陽は、およそ1年で、この黄道を1周します。 星占いでもちいる12の星座は、この黄道にならんでいます。 お月様の通り道は、白道(はくどう)といいます。 月は、およそ1カ月で、この白道を1周します。 黄道と白道は、天球上で、2箇所でかさなります。このため、 日食や月食がおこります。


全国の日の出、日の入りの時刻

 地球の公転面と自転軸が、垂直ではないことから、 たとえば夏の場合は、北ほど昼間の時間が長くなります。 北極では、一日中昼間です。冬の場合は、この逆です。 また、経度による影響は、東ほど早い時刻に日の出や日の入り が訪れます。
 日の出、日の入りのライン(昼と夜の境目)は、 春分、秋分のころは、経度線に平行ですが、とくに夏至や 冬至のころになると大きくずれてきます。
 これらのことから、北東から南西に長い日本列島では、 夏の日の入りと冬の日の出は、あまり時間に差はなくて、逆に 夏の日の出と冬の日の入りは大きな差がつきます。


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アトリエmickey「玄関に飾られた絵」

Kaiga


『ヴェネチア・大鐘楼の夕景』 (油彩)作者不詳
 
 スキアボーニ埠頭の大運河からみた、サンマルコ広場の大鐘楼の夕景色。
 中央には、2つの白い円柱のある小広場(ピアツェッタ Piazzetta)、
 そして、右側には、優美な造形のドゥカーレ宮殿が描かれている。
 
 (用語解説)
 スキアボーニ埠頭=ドゥカーレ宮殿から東へ延びる海岸通り。朝夕の散歩に
     は好適。大運河の対岸に浮かぶサンタマリア・デラ・サルーテ教会や
     サンジョルジョ・マッジョーレ教会の景色はすばらしい。
 サンマルコ広場=この周辺は、海洋王国として栄えた時代を偲ばせる界隈。
     ヴェネチアはもとより世界有数の観光スポットとされている。
 大鐘楼=サンマルコ広場の中央にそびえる高さ96.8メートルの赤レンガ色の
     塔。鐘楼の上からは、運河が縦横に走るヴェネチア市内をはじめ、
     ラグーン(潟)の島々、イタリア半島の山脈、そして天気のよい日
     には、遠くに雪をいただくアルプス連峰の大パノラマが楽しめる。
 小広場=(ピアツェッタ Piazzetta)サンマルコ広場の、船着き場のある海に
     面した部分で、はるばるコンスタンチノーブルから運んだ白大理石の
     2つの円柱がある。円柱の上には、それぞれ、ヴェネチアの守護神の
     翼を持つライオンと、聖テオドール像が配されている。
 ドゥカーレ宮殿=14世紀のゴシック建築で、かってのヴェネチア共和国の
     総督(ドージェ)の居城。整然とした列柱をはじめ、その造形美は
     ヴェネチア随一といわれる。

(付録として)
 
  絵の情景について、ちょっと補足いたします。
  もう少し、うちの玄関の絵を思い浮かばせてみてください。 
  
  日没の夕景というよりも、もっと早い時間の夕景で、たそがれ始める
  ころの風景です。
  雲も空も、波も海も、そして空気も建物も、すべてのものが、少しずつ
  ピンク色に、染まりつつある雰囲気。すべてのものが、ソフトに色づき
  暮れかかってゆくような・・・。
  
  いかがですか? 「ヴェネチア・大鐘楼の夕景」
  波の音に、時をつげる鐘の音、このあたりまでご想像されると、
  もう、うちの玄関の絵のまえにいる気分でしょう。

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アトリエmickey「あの大切な情景」

清流に巣食うモンスターへ

 「長良川河口ぜき」 大嫌いです。

 でも、悪口ばかり言っていてもしかたがありませんので、いま一度嫌いな理由をまとめて思い出してみます。
 どうか、またどこかで、同じような不幸が生まれませんように・・・。

●計画の動機の不透明なところ
 当初は、四日市コンビナートの水需要の増加に対応するとしていたものが、回収水の利用によりその需要の見通しがなくなると、今度は治水が目的であるとした。その効果も疑問視されると、つぎは、塩害の防止だと言う。計画のあとから目的を考えている。

●着手と運用開始の騙しの言い訳け
 引き続き反対意見は聞き入れて、運用をするかどうかは検討するから、建設はとりあえず着手する。そして工事は完成する。どんなに反対意見があろうとも、地元の人達は賛成している。税金で造ったものが、悪いはずがない。そして運用開始する。

●地元民意の操作と利用のテクニック
 伊勢湾台風など過去何回もの水害に悩みを抱く民に、水防施設増強の公約とをセットにした推進派町長が当選した選挙。これを地元民意として、地元以外からの反対意見をしりぞける。

●知多半島の水不足のからくり
 慢性的な水不足に悩む知多半島への導水管の埋設工事が、現在進む。ところが、給水制限で、お風呂の水でトイレを流し、溜め置きの水を飲用している知多半島の、そのとなりの名古屋では、公園の噴水は流れ、ふんだんに水を使って洗車をしている。名古屋市の持っている木曽川の既得利水権を振り分けるだけで、知多半島の水不足は解決すると聞く。

 そして最後に、ここまでわたしをこだわらせるものとして、

●失われた我がふるさとの風景
 通学路からながめる長良川の風景。・・・とっても好きだった。長島町の長良川の堤防沿いを歩いて通った小学校までの通学路。あれからもう30年になるのかなぁ。向こう岸にみえる桑名市の街並み。多度の山、鈴鹿の山々。そして、目の前にひろがる揖斐川と長良川の雄大な水の流れ。わたしは、この堤防から、山に夕陽がしずんでいくのをみるのが、 好きだった。 小学校の写生大会でもこの風景を描いた。

    ・・・でも、いまは、全国最悪の景色になってしまった。

 大好きだったあの長良川の夕陽の風景は、もう、あのモンスターの餌食になってしまった。

   だから、長良川河口ぜき、わたしは大嫌い!

 地元を離れていたわたしが、この長良川河口ぜきの計画を知ったのは、今から15年前の1984年9月、ドイツのシュツットガルトにおいて、関西大学工学部の小松伸也教授(小松左京氏の実弟)からです。ですから、計画されたのはこれ以前ということになります。このとき、小松教授は、
 「長良川にとんでもないものの建設が計画されている。なんとしても、中止すべきものである。なぜならば・・・、」
と、夜を徹して、環境などあらゆる問題について語ってくれました。ですけど、走り出したこの建設計画を止めることは、環境庁長官でさえもできなかったのです。

 本来ならば、立ち止まって考える必要があるものを、それさえせずに、走らせたもの、それは何だったのか。河口ぜきの可否とは、まったくことなる次元で推められたカネと欲の事業計画、そんなものが、この「グロテスクな化け物」を生みだしたのでしょう。

 この地域は、従来から豊かな農作物の栽培されるところで、塩害なんて、聞いたことはありません。ただ確実に言えることは、河口ぜきによって乱される従来の汽水域の生体系は、大きなダメージを受けるということです。また、どこかで塩害が生じていたとしても、きっとこのダメージの規模の方が、まさるはずです。これを目的として、巨額の血税が注ぎこまれたということ、ここが問題なのです。

  (99/06/14-15)


(付録)

 大好きだったあの長良川の夕陽の風景は、もう、あのモンスター(長良川河口ぜき)の餌食になってしまいました。
 満天の星空も、いつのまにかなくなってしまいました。
 幼いころには、延々とつづいていたきれいな砂浜も、埋め立てられて、あと500メートルほどしか残っていません。残された浜もじきになくなるでしょう。浜に降りて、ひとつかみの砂をフィルムケースに入れました。

 あたりまえのように存在していたものが、少しずつきえていく。
 あたりまえのように存在していたものが、本当は大切だったみたい。

    空に星・浜辺に砂があるように・・・・。

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アトリエmickey「ワイングラス秘話」

 こだわりのワイングラス(1)
Wine1_2

  イタリア・ヴェネチアンワイングラス

 “アドリア海の真珠”とたとえられる美しき海上の都市、ヴェネチア。ヴェネチアのムラーノ島のガラス工房で特別注文したワイングラスが、私の一番のこだわりグラス。ヴェネチアンルビーという、かすかな色合いのグラス。蛍光灯の光ではうすいブルーの色が、キャンドルの光にかざすと一変して、美しく淡いルビー色にかがやく不思議なワイングラス。波のようなデザインの繊細な削り模様と自分の「M」のイニシャル入り。特別な記念日にはこのグラスで祝います。

 こだわりのワイングラス(2)

  ドイツ・居酒屋風レーマーグラス

 かのゲーテが愛した美しい街、ハイデルブルグ。この街の居酒屋で飲んだワインは、ドイツ特有の大きくて重心の低いレーマーグラスに注がれる。透明なカップの下は、緑などの色付ガラスのツートンカラー。几帳面なドイツ気質のごとく、グラスには計量メモリがあり、0.25 Lの目印を超えて注がれるきまりになっているらしい。ドイツでは、グラス2杯くらいの飲酒運転は容認?されているとも聞きます。

Wine2

グラス
 
 こだわりのワイングラス(3)

  蒲郡プリンスホテル仕様ワイングラス

 三河湾に面する愛知県蒲郡は、温暖な古くからのリゾート。昭和9年に建てられた蒲郡プリンスホテル(旧蒲郡ホテル)は、与謝野晶子や菊地寛などの文士たちの常宿だったとして有名。格調高く華麗な城郭風の建築、アールデコ様式のモダニズム。レトロな雰囲気は格別のもの。静寂なディナーフロアに、最高級の西洋料理。そのかたわらに配置される美しいワイングラス。きれいな花の細工に、GAMAGORI PRINCE HOTEL の文字と小さなマーク。このグラスでの美酒は、はるかなる時のながれに思いが馳せます。このグラスは、ホテル公認で入手しました。


 こだわりのワイングラス(4)

  サントリー山梨ワイナリーのワイングラス

 国産ワインの聖地、サントリー山梨ワイナリー。昭和50年(1975)、 それまで、日本では不可能と言われていた「貴腐ぶどう」を収穫、幻の「貴腐ワイン」の誕生に成功した記念の地。ここでは、自動車ドライバー以外のひとに、ワインがグラスでふるまわれます。わたしは、その列に何回ならんだのでしょう。手元には、なんと10客のグラスが、現存しています。大人数の客人の際には、このグラスで、みんなで楽しくワインをいただくのです。


 いかがでしたか?4話にわたって、ワイングラスの話をしてみました。

 (98/06/06-98/06/08)

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アトリエmickey「ふるさとの響き」

Hanabiaka

  三重県富洲原・石採り祭   97/07/13-14
  
 7/12-13の土・日曜日は、お祭りの本番でした。三重県川越町の富洲原駅の界隈の石採り祭です。とても音が大きい(日本一?)お祭りです。
祭  初日の朝10時に山車は出発です。昨夜からの雨模様です。神社の横にある公民館の前からでます。青年部の人たちの歌声の後、太鼓と鉦の大音響が始まって、山車は、リーダーの笛の合図で、ゆっくりと引かれていきます。カーンカーンシャカシャカの鉦の音とドンドドンの太鼓との独特な節まわしです。太鼓や鉦を打ち鳴らす青年部の人たちは、半数近くが女性です。青年部の人たちが纏うエンジ色のはっぴは、雨のなかのアジサイの花の色のようです。雨空のもとでも鮮やかにみえます。山車の先端の竜の飾りからのびる綱は、子供たちが引いています。 山車には太鼓が1つと鉦が4つ付いています。山車と両側の大きな車輪は、黒と朱と金色に塗られています。山車は上の半分にちょうちんが山の型にならび、前方に折れ曲がって電線をくぐります。せまい路地ではちょうちんの付いている腕木を折り畳みます。山車の車輪は3つです。方向の転換は、前の1輪をうかせて行います。山車は、大音響とともに地区の中を回ります。山車や太鼓も鉦も、人々も、まるで水中のようにズブ濡れです。お祭り囃子の大きな音も、大粒の雨音のなかにきえていきます。周囲には、パトカーや消防車両の赤い回転灯の光がきれいです。このあと、夜10時近くに老人会の皆さんに引かれて神社にもどった山車は、夜中の12時近くまで打ち鳴らして、初日を終えました。大雨のなか、ちょうちんの明かりも絶えだえです。

祭  2日目は9時半に出発です。 きょうも警報中の大雨です。青年部の人たちのユニホームは今日は白色です。今日は駅(近鉄富洲原)の方面に繰り出します。となりの区域の山車と合流して、昼に一度神社にもどります。音響が重なり合い、響き合い、迫力です。打ち鳴らす青年部の人たちも力が入ります。方向性の感覚のない大音響の体感、鼓膜が伝わる音に麻痺して、空気の震えによって全身の皮膚が振動する。日本一音の大きな祭というふれ込みも誇張ではないかもしれない、と思う。雨のしずくも、汗のしずくも、太鼓や鉦の打面で飛び散っています。午後は2時に出発して、近くの小学校の方向へ出て行きます。夕方には、いったん戻って、再び駅の方面へ向かいます。次に神社に戻ってきたのは夜10時、やっとこのころに、雨があがりました。そして最後の打ち鳴らしが12時近くまで続きます。日付が変わる時間を迎えたころ、ひときわ強く打ち鳴らして、突然に静寂になりました。しんとした静けさがあたりに戻りました。かすかに青年部の人たちの歓声が聞こえます。濡れた地面に、消え残ったちょうちんがほのかに揺れています。

 こうして大音響と大雨の2日間が終了しました。1年間の祈願を終えて、界隈は静けさにつつまれます。今年も、耳の奥に、お祭りばやしの響きを残して終わりした。大雨のなかの、まる2日間、青年部のみなさん、がんばりました。お祭りを終えた暗闇なか、青年部の女性の、「さむぃ。」というちいさな声が、心にしみます。
 昨年は、炎天下の2日間、今年は大雨のなかの2日間。いろいろな風情をもつお祭りは、やはり感動ものです。
Maturi1


Maturi2


 
 (写真は、2000年8月、天カ須賀・住吉町の山車です。)


  (付録として)

 このお祭りの本場は、なんといっても、となりの三重県桑名市です。こちらは、たしか8月の始めだったと思います。桑名市のほうは、もっと規模も大きくて、もっともっとエキサイトです。もう、中途はんぱではありません。「天下の奇祭」とよばれる「桑名の石取り祭」は、ほんとにすごいですよ。一度いかがですか?
  
 「石取り(採り)祭り」の行われる地域は、三重県の北勢地区にたくさんありますが、その源は、三重県桑名市です。桑名市郊外を流れる「町屋(員弁)川」の石を、桑名城近くの「春日神社」に奉納するという「石取り神事」が、この祭りの由来です。

 石取り祭は、鎌倉時代、春日神社で行われていた流鏑馬(やぶさめ)神事が始まりと言われています。馬場を修理するために氏子らが近くの町屋川(員弁川)から清浄な栗石を取って運び、境内に奉納したのが起源です。最初は小さな荷車にしめ縄を張り、笹を立てて石を運んでいたのが、次第に華麗な祭車へと発展してきました。江戸時代末期から明治にかけて、現在のような三輪台車に社殿を模した「やぐら」を組み、上部山形に一年十二カ月を表わす十二張りの堤灯(ちょうちん)を飾った祭車の様式が完成。今に受け継がれています。


  太鼓の雨対策は?
 
 この独特な伝統のお祭りの太鼓の製造をうけついでいる製造元に問い合わせました。(三重県桑名市、創業宝暦3年です。)
 やはり、雨の中の太鼓の使用は、太鼓にとって、とっても過酷な条件といえます。でも、このお祭りとなれば使用せざるをえません。一応、山車の太鼓の上部には、雨をしのぐ天幕がありますが、大雨では、ほとんど役目はありません。雨の日には、革の部分に保革油(ほかくゆ)を塗って防水しますが、これも打ち始めたら、水滴をはじく効果は、あまり期待できません。
 雨の日に使用した太鼓は、天日に干して急速乾燥して保管します。通常、太鼓の打面の革は、何年も何十年もの寿命がありますが、雨のなかで使用された太鼓は、3割ほどみじかく張り替えを考えたほうがよいようです。
 大雨でもこのお祭りはおこなうもの、と考える姿勢は、やはり、太鼓の製造元も、お祭りを実施している人たちも、共通するものでした。

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アトリエmickey「宇宙の大きさ」

Hoshi

宇宙の大きさ

     (1)

 みなさん、宇宙の大きさって実感できますか?
 わたしにもわかりません。そこで、すこしづつ身近なもののサイズに縮小して、実感できるかを試みたいとおもいます。いかがでしょうか。まず、もっとも近くの天体である月から出発してみます。すこしづつ計算していきますので、もし、よろしければ、おつきあい下さい。どうなるかな。
 まずは、地球から月までの距離は、384403 km です。これを、1mのながさに縮小しますと、月の大きさは・・・。
 地球から月までの距離を1mに縮小しますと、月の大きさは、およそ9ミリになります。パチンコの玉くらいの大きさでしょうか。このときの地球の大きさは・・・。
 このときの地球の大きさは、およそ3.3センチになります。ゴルフのボールくらいの大きさです。ゴルフボールの地球のまわりをパチンコ玉の大きさの月が、1mはなれた円周上をまわります。ではこのとき、太陽はどのくらいの大きさになるのでしょう。
 このときの太陽の大きさは、およそ3.6mなります。自動車くらいの直径ですね。この太陽は、ゴルフボールの地球から、どのくらいの距離なのでしょうね。
 このときの太陽は、ゴルフボールの地球から、およそ400mの距離にあります。地球からは、400m先の自動車をみている感じですね。
 いかがでしたか。およそ4億分の1の世界です。少しはあたまの柔軟体操になりますか?
 自動車くらいの大きさの太陽、そして400mはなれた軌道を公転するゴルフボールの地球。そのまわりをパチンコ玉くらいの月が1mはなれてまわっている。そんな景色を想像してみたら、すこしクラッとなりそうです。

     ・・・・次回は、野球場からお送りしてみます。


      (2)

 宇宙の大きさ(第2話)です。
 いま、ナゴヤドームのバッターボックスにイチロー選手がいるとします。これは、落合選手でも、松井選手でもかまいませんが。ここで、選手の顔が、太陽としますね。すると、地球はどこでしょう・・・・。
 21センチの大きさの太陽が、ナゴヤドームのホームベースにあったとします。すると、地球は、ホームベースから、およそ23mの内野にいます。ピッチャーマウンドとセカンドベースのあいだです。このときの地球の大きさは・・・。
 内野にいる地球の大きさは、およそ2ミリです。仁丹の粒くらいです。グランドの人工芝のあいだにはいりこんだら、もう、わからなくなってしまいそう。月は仁丹の地球から、およそ6センチの円周の軌道にあり、大きさは0.5ミリです。もう砂粒ですね。では、太陽系最大の惑星の木星は、どこでしょう。
 木星は、120mのバックスクリーンのわきのスタンドにいます。太陽(イチロー選手の顔)は、とってもとおくてちいさくみえています。このときの、木星の大きさは・・・・。
 このときの木星の大きさは、およそ2.2センチです。10円硬貨くらいの大きさです。まわりを16個以上の衛星がまわっています。大きさは4つのガリレオ衛星でも、砂粒くらいです。さて、土星はどうでしょう。
 このとき、土星は、ホームベースからはるかにはなれた駐車場にいました。距離はおよそ220mです。土星の大きさは、およそ1.8センチです。木星よりひとまわりちいさいです。1円玉くらいです。土星には本体の2.25倍の大きさのリングがあります。このリングは4センチほどの大きさになります。計量スプーンの大さじの大きさくらいの円板です。さて、太陽系のはての冥王星はどこでしょう。
 このとき冥王星は、ホームベースからはるかにはなれた大曽根(JR中央線、地下鉄名城線)の駅前ちかくにいました。距離はおよそ912mです。ナゴヤドームから、この最寄りの駅まで、徒歩15分もかかります。このときの冥王星の大きさは、0.4ミリです。ちいさいです。グランドでゲーム中の太陽から、大曽根駅前の冥王星までが、太陽を中心としてめぐる太陽系なのです。直径およそ2キロです。いかがでしょうか。
     ・・・次回は、名古屋駅からお送りいたします。


      (3)

 宇宙の大きさ(第3話)です。
 いま、JR名古屋駅のコンコースの中央にいます。ポケットから、10円硬貨をとりだして、足元にそっとおきます。これを、太陽とします。直径およそ2.2センチです。では、地球はどこでしょう?
 地球は、10円硬貨から、およそ2.4mの円周上を公転しています。このときの直径は、0.2ミリです。もうすでに点になってきました。木星や土星、そして冥王星は、どこでしょう?
 このとき、木星は、10円硬貨の太陽から、およそ12mのところをまわっています。大きさは2.3ミリです。そして、土星は太陽から、23mのところにいます。大きさは1.8ミリです。冥王星は、10円硬貨の太陽から、およそ93mのところをまわっています。大きさは0.04ミリです。ここまでが太陽系です。太陽系は、10円硬貨の太陽を中心にして、JR名古屋駅のコンコース広場にいっぱいにひろがっているわけです。
 では、キップをかって、となりの太陽(恒星)、つまり10円硬貨をたずねてみましょう。さて、どこまでいくのかな?
 どこまでいったら、となりの10円硬貨があるのでしょうか。太陽系をはなれてから、ずいぶん暗闇のなかを旅しています。やっと、到着しました。距離にして、640キロです。なんと、となりの太陽(恒星)は、長崎県にありました。
 太陽(恒星)の存在する密度は、まったくの過疎です。さらに、名古屋から沖縄県の端までの距離を半径とする大きな球体の空間のなかをさがしても、なんと、ほかには8つ、たったの80円でした。
    ・・・では、もういちどJR名古屋駅にもどります。


      (4)

 宇宙の大きさ(第4話)です。
 いま、タワーズJR名古屋駅(2000年完成)の屋上にきています。超高層のツインタワービルです。ここで、ツインビルの片方の屋上に太陽をおきます。おとなりの太陽(恒星)はもう片方の屋上でしょうか。この距離およそ43mとします。このときの太陽系の大きさは、およそ1.2センチになります。たくさんの恒星の集まりが銀河系です。この銀河系は、凸レンズの形状に恒星があつまって、上からみると、渦の模様に群れています。太陽は、このレンズの中心から端の方向に、かなり、はずれたところに位置します。いま、銀河系が、ツインタワービルの屋上に水平にあるとします。すると、ここ屋上から、はちまき状に星の密度のたかい光の帯がみえます。これが天の川です。銀河の中心方向は、星がいっぱいであかるいのです。では、銀河系の中心はどのあたりでしょう?
 銀河系の中心は、名古屋からおよそ300キロ先の東京あたりです。東京の銀河系の中心部分の厚みはおよそ150キロになります。銀河系は、ここを中心に大きく凸レンズの形状になっています。では、銀河系の端は、どのあたりでしょう?
 東京を中心とした、中心部の厚み150キロの凸レンズの形状の銀河系です。大きさは、直径1000キロくらいです。ちょうど、盛岡から、岡山までくらいの大きさの凸レンズ状の円板です。とっても大きいです。
      ・・・では、もういちどJR名古屋駅にもどります。


      (5)

 宇宙の大きさ(第5話)です。
 こんどは、だいたんにJR名古屋駅のコンコース広場いっぱいに 直径100mの銀河系を置いたとします。太陽系の大きさは0.1ミリです。太陽は1億分の1ミリになってしまいます。これは、まるで現実の原子の大きさとおなじです。では、となりの銀河系のアンドロメダ星雲はどこでしょう?
 JR名古屋駅・コンコース広場にある銀河系のとなりの銀河系であるアンドロメダ星雲は、名古屋駅から2.2キロの栄・久屋大通り公園のテレビ塔のうえに、やはり直径100mくらいの壮大な渦をまいています。セントラルパークの道路の幅くらいです。渦巻き星雲は、ほかにも、ところどころに分布しています。ところによっては、渦巻き星雲が群れています。3000個くらいの星雲群が、40キロくらいむこうにあります。ちょうど岐阜市のすこしむこうあたりでしょうか。星雲群に、星雲団、万事群れることは、自然の摂理なのでしょうか。では、宇宙のはては、どこにあるのでしょうか?
 宇宙は、とても大きなスピードで膨張しています。遠いものほど、大きな速度で遠ざかっています。このスピードが、光の速度を越えてしまったところが、宇宙のはて(地平線)と考えます。およそ150億光年という距離です。直径100mの銀河系から、直線にしておよそ15000キロのあたりです。ジェット旅客機で、およそ17時間のところです。ロシアをこえてアイルランドあたり、あるいは、アメリカ西海岸を経由してメキシコ・ユカタン半島や、オーストラリアをこえて南極大陸のビクトリアランドあたりの距離でしょうか。ところが、実際にはここまで、光の速度で150億年かかります。光の速度は、1秒間におよそ30万キロです。しかも、地球の誕生から現在まではおよそ46億年です。じつに宇宙のはてには、この3倍以上の時間がかかります。そこが、宇宙のはてなのです。
 とうとう、宇宙のはてまできました。宇宙の大きさのお話もこれで終わりです。宇宙の大きさ、実感できましたでしょうか?

 この試みは、わたしの恩師(金属材料工学)によってまとめられた「極大の世界と極小の世界」の著書と「星の世界の拡がり」の講演の原稿が、あったからこそ成り立ちました。


 (付録)

 ここで、地球がゴルフボールなどになってしまって、人間の存在そのものの評価を過小に考えてしまいがちなのですが、その必要はありません。これは単に、スケールを縮めて見ている「極大の世界」のお話しです。わたしの専門としているのは、「金属材料の相変態」です。この仕事は、まったくその逆で、「極小の世界」です。金属片の1センチの長さには、 1億個の原子が並んでいて、その配列を変えるのが、この金属熱処理という仕事です。原子一個をゴルフボールほどの大きさにして一列に並べると、1億個は、なんと日本列島ほどの長さになります。わたしたち人も、この金属と同じような、原子の集合体です。また、その原子の構造のことも考えると、そこは「極大の宇宙空間」と共通したものが現われてくるのです。人間の存在とは、スケールに左右されるものでは ありません。不安感を生じさせてしまったようなら、ごめんなさい。でも、もう、大丈夫ですか?

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HP、アトリエmickeyの再構築

HP、アトリエmickeyの再構築をしてみたい。

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HP「アトリエmickey」の消失

@niftyの都合により、この8月には、
ホームページ「アトリエmickey」が、消失してしまいます。
2000年から16年に渡り、閲覧を頂きました。
のべ総数は10000人を越えています。
もう、古くなった記事もありますし、かけがえのない記事もあります。
このブログへの移植ができるものでしょうか。
断片でも、閲覧できないものか、チャレンジしてみます。

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